echo:  あの日の余韻をあつめて

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「好き」を言語化する技術を読んで/なぜ私が言語化をしなくなったのか

 

お久しぶりです。

 

三宅香帆先生の「好き」を言語化する技術を読んだ。


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一部界隈ではかなりタイトルだけでも話題に挙がっている1冊だと思う。私も発売当初からTwitterで見かけてはいて、でもノットフォー三―かもしれないとあえて避けていた本。懇意にしてくださっているはてなブログつながりのフォロワーさんが読み始めたのをきっかけに、ふと自分も読んでみるかという気持ちになって手に取った。

 

読み始めてすぐに思ったのは、「そもそも私はここに書かれているようなことが好きだったはず」ということ。そして、なぜそれをしなくなったのかという自分への疑問。

 

久しぶりのブログにこんな自語りをつらつらと並べるのもどうかと思うけれど、少しだけ書いていく。自分のメンタルの不調の話、近親者の死などについて触れているので、苦手な人は避けてくださいね。

 

 

①語ることが好きだった

 

何年も前からこのブログの読者になってくださっている方は知っているだろうけれど、私は好きなことについて語ることが好きだった。それは推している俳優のことにとどまらず、コスメ、音楽など色々だ。

 

私がはてなブログを始めたのは全盛期ともいえる時期ではあるが、私がブログを書くということそのものに目覚めたのはもっと昔、amebaブログの全盛期(ぐるっぽとか、なうが流行っていた時期)だった。当時は好きなラジオ番組があって、そのつながりを作るためになぜかフィルタリング(未成年なので親からのアクセス制限が携帯にはかけられていた)を抜けられるamebaにそのリスナーが集まっていた。当時のamebaはかなりSNSとしての要素が強く、リアルの人間関係に居心地の悪さを感じていた私には救いの場でもあった。

それと同時にブログで好きなアーティストの話を延々と語ったり、自分の気持ちについて語ったり、そういう「自分の思いを表現するための唯一の場」としてamebaがあった。ブログがあって、”なう”があって、自分のことを延々語り続けることが許される環境だった…と思う。

昔から作文なんかは好きで、自己表現として文章を作成することは得意だったし、必要なことだったのだと思う。amebaはだんだんとSNS色の強い要素を排除していったため、私たちはTwitterへ移行したが、文章を書く場は残しておきたいと思っていた。色々なブログサービスを渡り歩いて、シンプルなUIが気に入りはてなブログへ移行したのが大学生ころだった。はじめは身内向けの日記のようなものを限定公開で書いていたが、声優や舞台俳優にハマったことをきっかけに、「オタクのはてなブログ」というものが流行っていた時期でもあったため、公開アカウントを作成した。それが今のここだ。

 

 

②ことばにすることを躊躇しはじめた

 

はてなブログを始めてから数か月たち、グループにも加入したことで、徐々にインプレッションが伸び始めた。はじめは壁打ちで良いと思っていたけれど、反応が増えてだんだんとそうもいかなくなってきた。レスポンスがあることは嬉しいが、それを意識しないわけにもいかない状況が続く。こういう内容なら伝わるだろうか、こういう記事なら読まれやすいだろうか、そんなことを考えながらブログの更新をしていた。お題に沿って書く、というのもこのころから増えてきたと思う。お題箱にはたくさんのあたたかいメッセージやリクエストが届いた。そりゃ大手に比べたら少ないけれど、同じ趣味を持つ友人が少なかった私にとっては衝撃的な喜びがあった。amebaで人とつながりながらブログを書いていた頃を少し思い出した。

と同時に、自分の書いた言葉が(これまでと比べて)多くの人の目にとまることで、どんなイメージを与えてしまうのか、ということを考えるようになった。ネガティブなことは少なく、でも全く書かないのも不自然だからほどよく入れて、「共通認識として」この会場は~だった、とかこの脚本は~~だろうとか、そういうのを考えて書くようになった。自分の思いを表現したくて始めたブログは、純粋に自分の思いを書ける場ではなくなっていて、いくつかの制限がかかるようになっていった。ただ、それでも読者がいることの喜びや、自分の見た舞台の感想などを記録に残しておけることはシンプルに楽しかった。1つの舞台を見て、多くのことを感じ、文章を書ける自分も好きだった。私は金銭的にもスケジュール的にも多ステはできない状況だったので、1公演1公演が宝物のように感じられていた。多ステするのが当たり前、というような2.5次元舞台の界隈では私のような弱小オタクはオタクと名乗るのも烏滸がましいようなレベルではあったと思うけれど、それでもこの1公演を大事に見ることができる自分、見ようとする自分を支えるためにもブログを書き続けていた。

 

 

③ことばにすることに恐怖を感じ始めた

 

コロナ禍とも呼ばれた数年前の春先、私はある舞台のチケットの取り扱いについてブログを書いた。内容としては、チケットをとったものの行けるかわからない。いつまでこんな気持ちになっていなければならないんだ、行きたいのに行くことが許されないのに、そもそもなんで舞台は止まらないんだ…というとてもネガティブなものだったと記憶している。そのブログに、何件か「焼きマシュマロ」が送られてきた。はじめからいけない公演のチケットをとるな、とったなら悩むな、わざわざブログに書くな…といった内容だったと記憶している(2回目)。私はこれまで色々と正直に書いても、「そういうこともあるよね」と受け止めてくれる読者に恵まれてきていたから、今回もそういう言葉が欲しくてブログを書いたのだった。読者の存在を意識して、それに期待をして書いてしまった。それが誤った選択で、読者の一部に不快な思いをさせてしまったようだった。

 

あの時私は医療機関に勤めていて、厳しい行動制限がいつまでも課されていること、「出かけても良いが衛生管理を徹底的に」と院内研修を受けさせられ(当然、”自主研修”なので無給である)、どこに出かけるかの行動記録の提出を求められ、隠れて出かけようものなら袋叩きにされる、そういう日々の中生きていた。その中で、「衛生管理を徹底的にすれば出かけても良い」という言葉に一縷の望みをかけて取ったチケットと共に、行動記録のひな型をもらいに総務課へ出向いたところ、怪訝な目と共にしぶしぶ渡された1枚の藁半紙をみて少し心が折れかかった。「ああ、もう自分はオタクをしていられないんだろうな」と。オタクであることは自分の生き方にも関わるもので、それを自分の生活を成り立たせるために行っている仕事というものに折られるという経験はとても苦しかった。その苦しさをなんとか吐き出して、あわよくば肯定されたくてあの記事を書いた。それが否定されて、まあまあな強さで叩かれた。

 

もう、書くのをやめようと思った。自分の気持ちをささえるために書いてきた文章が自分の崩壊につながるのならばその意義はもはやない。私は文章を書くのをやめ、「良かった」しか発信しない、ネガティブな気持ちは外に出さないという主義を持った。運悪く、そういうスタンスが素晴らしいものだという主張がオタク界隈では広がっていた。

 

あの頃私が書きたかったのは、コロナでいかに自分が鬱々とした気持ちになっていて、どれだけ苦しい思いをしているか、というネガティブなものだったのだけれど、それを書くことは「良くないこと」のように受け取る人も多かった。このころから”推し活”のごり押しが始まり、推しに対してのポジティブな気持ちを過剰にキラキラとした表現で人に見せつけていくことが流行りはじめた、ような気がする。

 

気付けば職場で急に心臓が痛くなるとか、わかりやすい不調が出てきた。そうこうしている間に、祖母と愛猫がほぼ同時に亡くなった。祖母は仕事で忙しい母の代わりに面倒をみてくれていた人だった。厳しいし、時代錯誤なことは言うし、老人らしい偏屈さもあるし、元お嬢様でプライドばかり高い人ではあったが、愛情はたくさん注がれていた、と思う。愛猫の件はブログにも書いた。祖母はこの猫のことをいたくかわいがっていた。

現場はなく、義務ばかりが生じる日々だった。手洗いと職場の消毒、慣れない業務に応援として駆り出される。手は荒れ、爪がボロボロになった。元々不適応が続いていて職場のお荷物になっていたので、藁半紙を渡してくれた病院は退職して、小さなクリニックに移った。その先では仕事が忙しすぎるし、あまりにも求められることのレベルが高く、やはりしんどくなってきたので試用期間で退職した。フリーランスの仕事とパートの仕事を掛け持ちすることにして、だんだんと本来の自分を取り戻していった。犬の散歩もできる、猫をかまうこともできる、好きなことを好きだと言いながら日々活動できる、そういう幸せをかみしめる日々に戻った。

 

 

はてなブログブームの終焉と、書くモチベーションの枯渇

 

抑うつも抑善し、人並みの生活が送れるようになってきた。そこでふと、またブログを書こうと思い立ちはてなブログのマイページをみたところ、愕然とした。

詳しい時期は覚えていないけれど、どうもコロナ禍後頃からはてなブログのブームは終焉を迎えたようだった。今ではグループを開いても興味のある記事にたどり着けることはすくなくなり、多くが芸能ゴシップ記事もどきや、美容関係ならばアフィリエイトが主になった’(今現在はもう見ていないので、正直わからないけれど)。それを見て、もう自分が好きなことを好きなように書いて良い場所ではなくなったんだと感じてしまった。悲観的にとらえすぎているような印象もあるが、まあ、大方鬱が居残りをしていて、認知をゆがませていたのだろうと解釈できる。

 

それゆえに、「書く場所」もなければ「読んでくれる人」もいない、そういう感覚になってしまい、それならばとブログをせっせと更新していた頃にブロガーさんや読者さんと交流するためにつくったTwitterのアカウントでぽそぽそと話をするほうが楽しくなってきた。パソコンを開いて長々文章を書かなくても、私の気持ちはほとんど満たされていったので、はてなブログの存在など忘れてしまったかのように日々を過ごした。

 

ここ最近も、一応何本かは書いてみてはいる。ただどうしても「書くの面倒だな」が先に立ってしまい、なかなかモチベーションが維持できない状態だった。それはおそらく、

 ・伝えたいことがまとまっていないのに「義務感」で書こうとした

 ・「あの頃の楽しかったはてなブログ」が記憶の中にあって、それに縋る気持ちが少しあった

 ・読んでくれる人がはっきりしていなくてあいまいな文章になっていた(推しが変わったのもある)

 

と、まあこんな調子で文章を書くことが楽しくなくなり、だんだん「面倒だ」という気持ちが先に立ってくるようになってブログからどんどん離れてしまった。人とつながることはできているし、気持ちなら「やばい」「すごい」「尊い」「かっこいい」「好き」と一言書けば割と消費できてしまえる。自分のネガティブな気持ちは鍵垢で愚痴れば良いし、人に見せたらまた何を言われるかわからない(もっとも今のはてなブログにそんな血気盛んなオタクたちはいないかもしれないが)。

わざわざ長々とブログに書く必要はないし、書いて疲弊するくらいなら書かない方が良い、そんなことを考えるようになっていた。

そんな中、「好き」を言語化する技術が出版され、紹介するツイートがバズっていた。仲良くしてくださっていた、先述したフォロワーさん(私は彼女が書く文章がとても好きだった)も購入していた。なんとなく、「ツイートする内容をマシにできたらよいのかな」くらいの気持ちで私も購入したが、目次を読んで思わず涙がこぼれた。あれ、私ってここに書いてあることが好きだったはず…?

 

 

⑤これから、どうしたいか

「好き」を言語化する技術を読んで、私は自分がなぜ文章で気持ちを書きたかったのか、そうしたかったのか、そんなことを想い返した。「好き」を保存しておく、それがベースにあったはずなのに、その時感じた思いを言葉にしておくことが大事だったはずなのに、今はどうだ、ただコンテンツを消費しているだけの状態だ。勿体ない!!!!!!!なんて勿体ないことを今までしていたんだ!!!!!!!と、自分に怒りすら覚えた。昨年から数えても、それなりの本数のライブ、イベントに参加していたのに、「楽しかったよ~ん」とつぶやいて終わりにしていた。一応まとめ記事は書いたけれど、義務として、なんとなく書いた。博多旅行記は写真をたくさんのせて満足していた。私は雑に消費したくなくて、1つ1つ大事にしたかったはずなのに、気づけば過去の自分が大事にしていたことを無碍にしてしまっていたんだろう。

過去の記憶をさかのぼって1つずつ書く…というのは現実的ではないし、今回これだけの思いをもったとしても再びガシガシブログが書けるかといわれると定かではない。そこには自分の時間も、余裕も必要だから…でも、できる限りやってみたいと思う。書きたいし、残したい。私の今の推しは(何人かいるが)大変な状況になったり、好きでいることをあきらめようかと思ったり、そんなことが続いていた。でも、今も好きだ。大好きだ。ならば、これからその気持ちを大事に書き起こして、あわよくば誰かに読んで「そうなんだ」と思ってもらえたら嬉しい。(共感されること、理解されることは喜びでもあるから。)

 

長々書いてきたけれど、せっかくなので今回読んだ中で気に入った部分を引用して終わりにしようと思う。

 どんなものに書くとしても、本当に大好きな推しがいるなら、推しについての自分だけの言葉を持っておくことはすごくすごく重要なことです。

 なぜなら自分の揺るぎない言葉を持つことは、きっとあなたの「推し」―—つまり好きな存在を好きでいることへの信頼につながるからです。

引用:「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 三宅香帆 著

 

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